ほんの100年前のイタリアは、独自の文化を持った都市国家が集まった国だった。
違う街へ移動する度に、まるで別な国へ移動したかのような錯覚を覚えることも少なくない。各街ごとに違った魅力が溢れている。
だからこそ地方(街)ごとの愛郷心は想像以上に強く、サッカー等で地元チームを応援する熱狂振りは狂気の世界だ。
ロビンの大好きな国の一つであるイタリア。オススメ度は★★★★★!!
ローマ
永遠の都ローマ。
だれもが憧れ、旅人を惹きつける魅力に溢れる街。
古代ローマ時代の遺跡が随所にあり、一日では見て回れない。最低でも3日は滞在したい。
コロッセオ
古代ローマ時代の円形闘技場。
古代には、人間 VS 人間、人間 VS 動物等、壮絶な殺し合いが行われていた。
表面は大理石で覆われていたが、後に剥がされて他の建物の建設資材として使われた。
壁面に無数の穴が開いているのが見える。この穴は、鉄のクサビが打ち込まれていた穴だ。
壁が崩れないように石と石を鉄のクサビで繋いでいたが、後に鉄砲の弾等に使うために取り外された。
※グラディエーターの衣装を着た人がいるが、この人達はモデルだ。
写真を撮る場合にはチップが必要。写真を撮る前に値段交渉をしないと、後からモメる原因となる。
真実の口
スペイン広場
広場の前にスペイン領事館がある事から、この名前がついた。
この広場の前には、マリアの塔が建っている。
マリアの右手には、毎年12月8日に花輪(生花)が飾られます。
もちろん、数日で花は枯れ、花輪は落ちてしまいます。
なぜ12月8日なのか?それは、カトリック教会では12月8日は聖母マリアが、その母聖アンナの胎内に宿ったことを記念する「無原罪の聖マリアの祝日」で、盛大に祝われるのだ。カトリック国では学校や会社・商店は休みとなる。
スペイン階段
ここも、映画「ローマの休日」のワンシーンで有名。
オードリーヘップヴァーンのように、ここでジェラートを食べたい人もいるだろうが、残念ながら食べ物は禁止なのだ。タバコ・飲み物はOK。
※ここには『ミサンガ売り』がたくさんいる。
「ナカ~タ」「ナカム~ラ」と声をかけてくる。その言葉に反応(笑ったり、振り返ったり等)をすると、「トーキョー?オーサカ?」 「マイ フレンド トーキョー」と片言の英語で話かけてきます。
その後、「プレゼント!フリー!!」と腕を取り、勝手にミサンガを手首にくくりつけます。
もちろん、フリー(無料)のわけはなく、後からお金を要求してくるのだ。
また、ここには『花売り』も多い。バラを一輪、「プレゼント」と言って渡してくる。
つい日本の駅前で配っているポケットティッシュのように受け取ってしまう。
しばらくはお金を請求してこない。本当にタダなんだと思い、バラを持って写真を撮ったりした頃にお金を請求してきます。
トレヴィの泉
ミラノ
イタリアで最もオシャレな街ミラノ。世界最先端の流行発信基地といっても過言ではない。
存分にお買い物を満喫しよう。
ただし、「ドゥオーモ」と「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(最後の晩餐)」だけは見逃さないように。
ドゥオーモ
最初の石が置かれてから約500年後の1813年に完成。
ゴシック建築の大傑作!!もう圧巻!!
ドゥオーモには135本の尖塔があり、尖塔の一つ一つに聖人が立っている。
一番高い位置に金のマリア像が輝いていて、昔はこのマリア像より高い建物を建ててはいけないとされてたそうな。
内部は厳粛で厳かな雰囲気。
入って右の壁にあるステンドグラス(写真左下)。
上部に光が差し込む穴が空いているのが見えるだろうか?(大きな光は照明のライト。その下)
その穴から差し込まれた光は、床(写真右下)の星座を照らすように造られている。
ヴィットリオ・エマヌエル2世ガレリア
最後の晩餐
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に向かって左側にある、修道院の元食堂にレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』がある。
予約時間前に到着し、写真の左側に移っているクリーム色の建物でチケット(テレカみたいな物)をもらう。
時間までは、ベンチがあるので座って待ってて良い。
扉は二重扉となっており、前の扉が開いている時は後ろの扉は開かない。
見た人の視線がイエスへいくように、イエスの右(向かって左)のこめかみに釘を刺し、そこから糸を張り、壁・天井・テーブル等の直線を描く、一点透視図法が用いられている。
テーブルの上には、折り目のついたテーブルクロスが広げられ、大皿が3つ、それに取り分け用の小皿と、手洗い用の水を入れた皿(フィンガーボウル)、塩壺と思われる小型の容器、ナイフ(フォークはない)、ワインを入れた小さなグラスなどが置かれている。剥落のため、細部ははっきりしない部分もあるが、ワイングラスは(ユダの分も含め)13個置かれていることがわかる。20世紀末に行われた修復の結果、皿の上にあるのは魚料理であることが判明した。他に、丸型のパンと、レモンまたはオレンジと思われる果物(魚の風味をよくするためのものと思われる)が見られる。
この絵画の残念な点は、フレスコ画の技法ではなくテンペラ画の技法で描かれていること。
そのため、絵の損傷が激しい。
もともとこの部屋は食堂として使用されており、食べ物の湿気、湯気などによる侵食。
17世紀には絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。
さらに、17世紀末のナポレオンの時代には、食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。この間、ミラノは2度大洪水に見舞われており、都度壁画全体が水浸しとなった。
とどめは第二次世界大戦時、メリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊する。その際にこの食堂も向かって右側の屋根が半壊するなど破壊された。
が、壁画のある壁は爆撃を案じた修道士たちの要請で土嚢と組まれた足場で保護されていたこともあって奇跡的に残った。その後3年間屋根の無い状態であり、風雨にさらされないよう、また、壁だけで倒れないようそのまま土嚢を積まれてはいたが、この期間にも激しく損傷を受けている。
そういった意味でこの『最後の晩餐』は、制作当時に奇跡の絵画と呼ばれたが、現在では存在自体が奇跡だと言われている
フィレンツェ
ルネサンスが花開いた街、花の都フィレンツェ。
主な見所はアルノ川北側の旧市街に集中しているので、ほとんど徒歩で周ることができる。
郊外には有名ブランド直営の大型アウトレットショップがあるので、ブランド好きな方は要チェックだ
ちなみに、最近(07年10月現在)は駅からドゥオーモへ続く大通り(Via dei Panzani、Via dei Cerretani)でスリの被害が多発しているので注意してくださいね。
ミケランジェロ広場
ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)
街の中心にあり、フィレンツェのシンボルでもある大聖堂。
巨大(世界第三位)なクーポラが乗った大聖堂は圧巻!!
1296年から172年の歳月をかけて建設され、約3万人が一同に会することができる大きさだ。
ウッフィッツィ美術館
メディチ家の膨大な美術収集品が展示されている「ウッフィッツィ美術館」は見逃せない。
いつも混んでいるので、予約しておいた方が良い。
※入館時に手荷物検査があり、リュックや大きなバック・刃物類・液体(ペットボトルの水等)は持ち込めない。
ウッフィッツィ美術館予約ページ
ヴェッキオ橋
ナポリ
イタリア人でさえ、ナポリに行く時には貴金属は全て外すという。それくらいナポリの治安は良くないのだ。
また、「ナポリを見て死ね」という有名なことわざがあるが、昔のことはいざ知らず、今では「Vedi Napoli e poi muori ヴェディ・ナポリ・エ・ポイ・ムオーリ(ナポリを見よ、それから死ね)」という語呂の面白さしか残っていない気がする。
ロビンはイタリアの中で最も好きな街がナポリだが、ナポリーニャの「陽気さ」「人懐っこさ」「いい加減さ」「ずる賢さ」は、好き嫌いがハッキリ分かれる。
ナポリへ来たら、【カプリ島】【ポンペイ】へは足を延ばそう。
カプリ島
ナポリ湾の入り口にあるカプリ島は、その特異な風光の美しさ故に昔から人々に愛されてきた。
古代ローマ皇帝達が別荘を築き(特にティベリウスは治世の最後の10年間をこの島で暮らした)、有名な「青の洞窟」がある島。
「青の洞窟」は波が高いと中へ入れない。特に冬期は悪天候で見学できない場合が多い。
ローマからツアーも出ているが、個人でも簡単に行く事ができる。
ローマから列車(ESかIC)に乗りナポリへ(約2時間)。タクシーでヌオーヴォ城の前のフェリー乗り場へ。フェリーに乗り、カプリ島のマリーナ・グランデ(港)へ。フェリーを降り、陸地へ向かう途中の左側にあるボート乗り場(小屋でチケット購入)から「青の洞窟」へ。
ポンペイ
紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の大噴火により、一夜にして火山灰・火山礫に埋もれた古代都市。
18世紀半ばに発掘が始まり、1700年もの眠りから覚めた街並みは、碁盤のような街路に神殿や浴場や住宅が蘇り、1900年前の人々の暮らしを現代に伝えている。
私鉄チルクンヴェスヴィアーナ鉄道でナポリから45分。